坂本九さんの妻は、女優として活躍してきた柏木由紀子(かしわぎ・ゆきこ)さんです。2人は1971年12月8日に結婚し、長女・大島花子さん、次女・舞坂ゆき子さんという2人の娘に恵まれました。しかし、幸せな家族の生活は、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故によって突然終わりを迎えます。
2026年11月現在、柏木由紀子さんは女優としての活動に加え、坂本九音楽事務所の代表として夫の楽曲や肖像の管理にも携わっています。娘たちもそれぞれの分野で活動し、坂本九さんが残した音楽を次世代へ伝えています。2人の馴れ初め、結婚生活、家族構成、事故後の歩み、そして現在の活動まで、公式プロフィールや報道をもとに整理します。
【坂本九の妻は柏木由紀子】女優としてのプロフィールと経歴

坂本九さんの妻として知られる柏木由紀子さんですが、結婚以前から芸能界で活動していた実力派の女優です。子役時代から芸能活動を始め、映画やテレビドラマ、歌手活動など幅広い経験を重ねてきました。
柏木由紀子の基本プロフィール坂本九音楽事務所の公式プロフィールや婦人公論.jpの著者紹介によると、柏木由紀子さんの基本情報は次のとおりです。
- 名前:柏木由紀子(かしわぎ・ゆきこ)
- 生年月日:1947年12月24日
- 出身地:東京都
- 職業:女優・歌手・講演活動
- 映画デビュー:1964年
- 夫:坂本九
- 子供:娘2人
- 所属・関係事務所:坂本九音楽事務所
2026年11月現在、年齢は78歳です。12月24日の誕生日を迎えると79歳になります。
映画・ドラマで活躍した若き日の柏木由紀子柏木さんが芸能界に入ったきっかけは、小学生時代に母親の勧めで劇団若草に入団したことでした。その後、子供向け雑誌のモデルとしても活動しています。
1964年、高校生のときに松竹映画『明日の夢があふれてる』で映画デビュー。同時期には歌手としても活動を始め、レコード「若い真珠」を発表しました。
その後は女優としての仕事に力を入れ、テレビドラマにも出演。代表的な出演作には、次の作品があります。
- 『東京の人』(1966年)
- 『炎の青春』(1969年)
- 『細うで繁盛記』(1970~1971年)
- 『華麗なる一族』
坂本九さんとの結婚後も芸能活動を続けており、単に有名歌手の妻というだけではなく、独自のキャリアを築いてきた人物です。
【1971年に結婚】坂本九と柏木由紀子の馴れ初めとは?
2人の出会いは、芸能界の撮影現場でした。きっかけは坂本九さんからの積極的なアプローチだったと、柏木さん自身が後年のインタビューで振り返っています。
最初の出会いはドラマの撮影所2人はそれぞれ別のドラマに出演していましたが、撮影所が同じだったことから接点が生まれました。
柏木さんが2024年のインタビューで語ったところによると、周囲のスタッフから坂本さんが自分のことを話していると聞かされていたそうです。
ある日、撮影所近くの喫茶店に立ち寄ったところ、坂本さんがスタッフと一緒におり、そこで初めて顔を合わせました。
電話番号を書いたメモが恋愛のきっかけに2025年8月の日刊スポーツの報道では、柏木さんが坂本さんとの出会いを振り返り、最初に電話番号を書いたメモを受け取ったものの、すぐには連絡しなかったエピソードが紹介されています。
当時は携帯電話が普及していない時代。特に用事もないのに自分から電話をかけることにためらいがあり、約1年間、連絡を取らずに過ごしたといいます。
その後、柏木さんが仕事で大阪を訪れた際、梅田コマ劇場で坂本さんが公演していることを知りました。母親が坂本さんのファンだったこともあり、楽屋へ陣中見舞いに行くことにします。
そこで坂本さんから再び電話番号を書いたメモを渡されました。この再会が2人の距離を縮め、交際につながったのです。
1971年12月8日に結婚ユニバーサル ミュージック ジャパンが公開している坂本九さんの公式ヒストリーによると、1971年8月23日に柏木由紀子さんとの婚約を発表。そして、1971年12月8日に笠間稲荷で結婚しました。
結婚後も2人は芸能活動を続け、1972年には大阪・梅田コマ劇場の舞台『ごんたくれ太鼓』で共演しています。夫婦としてだけでなく、同じ芸能の仕事に携わるパートナーでもありました。
結婚から1985年の事故まで、2人の夫婦生活は約14年間続きました。
【坂本九の家族構成】長女・大島花子と次女・舞坂ゆき子
坂本九さんと柏木由紀子さんの間には、2人の娘がいます。長女は歌手の大島花子さん、次女は女優として活動してきた舞坂ゆき子さんです。
坂本九さんの公式ヒストリーと坂本九音楽事務所の公式プロフィールを照合すると、家族構成は次のようになります。
坂本九ファミリーの人物・関係一覧| 人物 | 家族関係 | プロフィール・活動 |
|---|---|---|
| 坂本九 | 夫・父 | 歌手・俳優。1941年生まれ。1985年8月12日、日航機墜落事故で死去。 |
| 柏木由紀子 | 妻・母 | 1947年生まれ。女優・歌手。坂本九音楽事務所の代表。 |
| 大島花子 | 長女 | 1973年10月7日生まれ。歌手・シンガーソングライター。 |
| 舞坂ゆき子 | 次女 | 1976年11月10日生まれ。元宝塚歌劇団雪組。女優として活動。 |
長女の大島花子さんは1973年10月7日生まれ。東洋英和女学院大学に進学し、在学中からミュージカル『大草原の小さな家』などの舞台に出演しました。
その後、自分自身の言葉で音楽を表現したいと考え、作詞・作曲を始めます。
2003年には父・坂本九さんの楽曲『見上げてごらん夜の星を』でメジャーデビュー。以降、シンガーソングライターとしてライブやコンサートを行い、父が残した楽曲も歌い継いでいます。
坂本九音楽事務所の公式プロフィールによると、2024年にはデビュー20周年を記念したツアーやホールコンサートを開催。2025年夏には、坂本九さんの没後40年を機に『心の瞳』をテーマとするプロジェクトも始めています。
次女・舞坂ゆき子は元宝塚歌劇団の女優次女の舞坂ゆき子さんは1976年11月10日生まれです。東洋英和女学院を経て、1994年に宝塚音楽学校へ入学しました。
1996年から2002年までは宝塚歌劇団の雪組に在籍し、舞台経験を積みました。退団後は舞台やテレビなどで活動しています。
また、2000年には坂本九さんとのデュエット曲『SUKIYAKI2000』を発表。父親の音楽とのつながりも大切にしてきました。
坂本九音楽事務所の公式プロフィールでは、現在は一児の母として紹介されています。
なお、坂本九さんの公式ヒストリーでは次女の誕生時の名前は「舞子」と記載されています。現在の芸名である舞坂ゆき子さんと別人という意味ではありません。
【1985年の日航機墜落事故】夫との突然の別れと柏木由紀子のその後
坂本九さんと柏木由紀子さんの家族にとって、1985年8月12日は人生を大きく変えた日でした。
坂本九さんは仕事で大阪へ向かう途中、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ、43歳で亡くなりました。
日本航空123便墜落事故とは1985年8月12日、羽田空港を出発した日本航空123便は、大阪・伊丹空港へ向かう飛行中に重大な異常が発生。群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
日本航空の安全啓発センターが公表している事故記録によると、乗客509人、乗員15人の計524人が搭乗しており、520人が亡くなり、4人が負傷しながらも救出されました。
事故の発生から墜落までの時間は約32分。航空事故の歴史に深い傷跡を残す大惨事となりました。
坂本九さんは、事故当日にNHK-FMの番組収録に参加していました。その後、大阪へ向かうために搭乗した123便が墜落し、帰らぬ人となったのです。
残された妻と幼い2人の娘突然の事故で夫を失った柏木さんは、当時まだ小学生だった2人の娘を育てていかなければならなくなりました。
2024年のエルビューのインタビューや2025年の婦人公論.jpのエッセイでは、事故後の家族の状況について本人が振り返っています。
事故の後、娘たちは父親の話をしなくなり、テレビで坂本さんの映像が流れても見ていないふりをする時期があったそうです。柏木さん自身も娘たちに夫の話をできなくなってしまったと語っています。
それまで家計や家庭のことを坂本さんに頼っていた柏木さんにとって、生活のすべてを自分で担うことは大きな変化でした。
しかし、本人が当時の心境を振り返る際に繰り返し語っているのが、「2人の娘を守らなければならない」という思いです。
事故から約半年後に仕事復帰婦人公論.jpの2025年6月のエッセイによると、柏木さんが仕事復帰を決めたのは事故から約半年後でした。
家計を自分で管理し、娘たちを育て、夫が残した家を守るために働くことを決意したといいます。
仕事復帰後はテレビや雑誌、講演などの活動に取り組みました。夫を失った悲しみがすぐに消えたわけではなく、本人も長い時間をかけて少しずつ前を向いてきたことを明かしています。
2024年のインタビューでも、事故から約40年という年月を経て、徐々に自分自身の時間を大切にできるようになったと振り返っています。
この歩みは、夫の名声に頼るのではなく、自分の仕事と家族の生活を守りながら人生を再構築してきた過程でもあります。
【2026年現在】柏木由紀子は何をしている?坂本九音楽事務所での活動
2026年現在の柏木由紀子さんは、女優としての活動に加え、講演、ファッションやライフスタイルの発信、坂本九さんの音楽の管理など、複数の分野で活動しています。
女優業・講演・ファッション発信を継続坂本九音楽事務所の公式プロフィールでは、柏木さんは現在も女優として紹介されています。また、家族愛や夫婦愛をテーマにした講演活動にも取り組んでいます。
近年はファッションや日常のコーディネートを紹介する発信でも知られるようになりました。
婦人公論.jpでは、柏木さんが2025年に著書『YUKIKO STYLE』を刊行したことや、娘たちとの生活を楽しんでいる様子が紹介されています。
若い頃から好きだったファッションを年齢にとらわれず楽しむ姿は、女優としての活動とはまた違った現在の魅力です。
坂本九音楽事務所の代表として夫の遺産を管理2026年現在、柏木由紀子さんの活動を理解するうえで欠かせないのが、坂本九音楽事務所です。
同事務所の公式サイトには、柏木さんが代表を務めていることが明記されています。
加えて、坂本九さんの肖像や楽曲の権利管理、録音・録画などの二次利用に関する権利を柏木さんが保有し、事務所で管理していることも説明されています。
これは単に夫の思い出を守るというだけではありません。坂本九さんの音楽や映像が、テレビ番組、作品、コンサートなどで適切に活用されるための重要な役割です。
2026年1月には公式サイトがリニューアルされ、同年1月23日には映画『SUKIYAKI 上を向いて歩こう』に関する情報も掲載されました。坂本九さんの名前や作品を未来へ伝える取り組みが続いています。
2026年8月、事故から41年の節目に家族で墓参り2026年8月12日、日本航空123便墜落事故から41年を迎えました。
同日の柏木さんのSNS投稿について、TBS NEWS DIGやORICON NEWSが報じています。
報道によると、柏木さんは坂本九さんの墓参りに訪れ、その様子を動画で公開しました。坂本さんが好きだったワインを墓前に供え、娘たちや孫たちが元気に過ごしていることを伝えたといいます。
また、家族の写真とともに、これからも笑顔で歩いていきたいという思いを発信しました。
事故から41年が経過しても、夫を思う気持ちと家族のつながりは変わらず続いています。
【家族がつなぐ坂本九の音楽】『心の瞳』とママエセフィーユ
坂本九さんの音楽を後世に伝える活動では、柏木由紀子さんと2人の娘による取り組みも重要です。
その代表的な活動が、母と娘たちによる音楽ユニット「ママエセフィーユ(maman et ses filles)」です。
2004年に始まった家族の音楽活動坂本九音楽事務所の公式プロフィールによると、ママエセフィーユは2004年に音楽活動を開始しました。
メンバーは次の3人です。
- 柏木由紀子
- 大島花子
- 舞坂ゆき子
ユニット名の「maman et ses filles」は、フランス語で「母と娘たち」という意味です。
同年にはファーストミニアルバム『心の瞳』をリリース。坂本九さんの声を交えた作品も収録され、家族ならではの音楽表現が注目されました。
坂本九の最後のレコーディング曲『心の瞳』『心の瞳』は、坂本九さんが最後にレコーディングした楽曲として知られています。
1985年5月22日に発売されたシングル『懐かしきlove-song/心の瞳』に収録されており、坂本さんの死後、合唱曲として広く歌われるようになりました。
現在では全国の中学校などで合唱曲として親しまれています。
ユニバーサル ミュージック ジャパンの公式ヒストリーでも、同曲が中学校の教科書に掲載され、合唱曲として知られるようになったことが紹介されています。
家族にとって『心の瞳』は、単なる父親の代表的な作品ではありません。坂本九さんの歌声と、残された家族の活動をつなぐ大切な楽曲です。
大島花子が始めた「心の瞳プロジェクト」2025年夏には、坂本九さんの没後40年を機に、長女の大島花子さんが「心の瞳プロジェクト」を開始しました。
坂本九音楽事務所の公式プロフィールによると、このプロジェクトでは、合唱曲として親しまれている『心の瞳』を一緒に歌いながら、愛や命について伝える活動に取り組んでいます。
NHKニュースなどでも取り上げられ、父親の音楽を新しい世代へ伝える取り組みとして紹介されました。
大島花子さん自身も、父親の残した『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』などを歌い継いでいます。
坂本九さんが亡くなった後も、妻と娘たちがそれぞれの立場で音楽を守り、伝えていることは、この家族の大きな特徴です。
【プロの結論】坂本九の妻・柏木由紀子の歩みから見える家族の絆
坂本九さんと柏木由紀子さんの人生を振り返ると、単なる芸能人夫婦の結婚生活という枠には収まらない歩みが見えてきます。
1971年の結婚、2人の娘の誕生、1985年の突然の別れ。そして、柏木さんが仕事に復帰し、娘たちを育てながら坂本九さんの音楽を守ってきた年月。そこには、家族の生活と音楽の継承が密接につながっています。
柏木由紀子は「坂本九の妻」だけではない柏木由紀子さんは、1964年に映画デビューした女優であり、歌手としても活動してきました。事故後には自ら働く道を選び、現在は事務所の代表として坂本九さんの作品の管理にも携わっています。
そのため、柏木さんを理解する際には、坂本九さんの妻という肩書きだけでなく、本人の芸能活動、仕事復帰、現在の活動を合わせて見ることが大切です。
ネット検索で間違えやすい3つのポイント- 柏木由紀と柏木由紀子は別人:坂本九さんの妻は、女優の柏木由紀子さんです。
- 娘は2人:長女が大島花子さん、次女が舞坂ゆき子さんです。
- 『心の瞳』は家族の活動ともつながる:坂本九さんの最後のレコーディング曲であり、妻と娘たちによる音楽継承の象徴的な作品です。
人物情報を調べるときは、公式プロフィールの生年月日や経歴、レコード会社の年表、本人のインタビューを照らし合わせると、同姓の人物や芸名による混同を避けやすくなります。
特に柏木由紀子さんの場合、女優としての経歴と、坂本九さんの遺族としての活動を分けて整理すると、その人生をより正確に理解できます。
【坂本九の妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂本九の妻は誰ですか?
A1:女優の柏木由紀子さんです。1947年12月24日生まれで、1964年に映画デビューしました。1971年12月8日に坂本九さんと結婚しています。
Q2:坂本九と柏木由紀子の間に子供は何人いますか?
A2:娘が2人います。長女は1973年生まれの歌手・大島花子さん、次女は1976年生まれの元宝塚歌劇団雪組の舞坂ゆき子さんです。
Q3:柏木由紀子は2026年現在、何をしていますか?
A3:女優業や講演活動、ファッションやライフスタイルの発信を続けています。また、坂本九音楽事務所の代表として、夫の楽曲や肖像の権利管理にも携わっています。2026年8月には坂本九さんの41回目の命日に墓参りをしたことが報道されました。
坂本九さんの妻は、女優の柏木由紀子さんです。2人は1971年12月8日に結婚し、長女・大島花子さん、次女・舞坂ゆき子さんという2人の娘を育てました。
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故によって坂本九さんを失った柏木さんは、事故から約半年後に仕事へ復帰。母として2人の娘を育てながら、自分自身の人生も歩んできました。
2026年現在は、坂本九音楽事務所の代表として夫の作品や肖像を管理する一方、女優や講演活動にも取り組んでいます。娘たちもそれぞれの活動を通じて父の音楽を継承しています。
『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、そして『心の瞳』。坂本九さんが残した楽曲は、家族の活動を通じて今も多くの人に届けられています。
坂本九さんの妻という存在を知ることは、柏木由紀子さん自身の人生と、家族が長い年月をかけて守ってきた音楽の歴史を知ることでもあるのです。
主な確認資料:坂本九音楽事務所公式プロフィール、ユニバーサル ミュージック ジャパン公式ヒストリー、日本航空公式記録、婦人公論.jp、TBS NEWS DIG、ORICON NEWS。