志村けんさんの兄はどんな人物なのか。弟と顔がそっくりだと話題になった長男の志村知之さんは、長年にわたって東京都の東村山市役所に勤務した元公務員です。1969年から市役所で働き、定年退職後も臨時職員として勤務を続け、2017年3月に完全退職しました。
志村けんさんは男3人兄弟の末っ子で、長男が知之さん、次男が志村美佐男さんです。2020年3月29日に志村けんさんが70歳で亡くなった後、兄たちは遺産相続や三鷹市の自宅管理、膨大な遺品の整理にも向き合ってきました。2025年には自宅の売却と解体が報じられ、2026年3月29日には七回忌を迎えています。
2026年4月には東村山市の渡部尚市長が知之さんの自宅を訪問したことも報じられました。七回忌を迎えた兄の思い、弟との関係、東村山駅前の銅像の今後まで、これまでの報道を時系列で整理します。
【人物プロフィール】志村けんの兄は長男・志村知之さん!三人兄弟の末っ子だった

志村けんさんには、2人の兄がいます。長男が志村知之さん、次男が志村美佐男さん、そして三男が志村けんさんです。
志村けんさんの本名は志村康徳(やすのり)。1950年2月20日生まれで、2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなりました。
芸能界では「バカ殿様」「変なおじさん」などのキャラクターで親しまれた志村さんですが、家庭では3人兄弟の末っ子でした。長兄と次兄は芸能活動をしていたわけではなく、それぞれ一般社会で生活していました。
長男・知之さんはどんな人物?知之さんが全国的に知られるようになったきっかけの一つが、2017年4月の東村山市役所退職です。
当時、東村山市の渡部尚市長が自身のSNSに、最後の登庁日を迎えた知之さんとのツーショット写真を投稿しました。その写真が公開されると、弟の志村けんさんに驚くほど似ていると話題になりました。
J-CASTニュースの2017年4月3日の取材で、知之さん本人も弟との顔の類似について語っています。
「顔はよく似ていると言われますよ」
本人も似ていることを認識しており、兄弟ならではの共通した顔立ちが注目を集めました。
一方、性格については少し違うと説明しています。弟のようにギャグで周囲を笑わせるタイプではなかったものの、市役所や地域では親しまれていた人物でした。
次男・志村美佐男さんについて次男の志村美佐男さんも、志村けんさんの実兄です。
週刊女性PRIMEの2022年3月の報道によると、美佐男さんは2021年6月に亡くなっていました。
親族の証言では、志村けんさんと美佐男さんは親しい関係にあり、けんさんがゴルフを教えたり、仕事の面で支えたりしていたとされています。
美佐男さんは、かつて志村さんの個人事務所に関係する仕事にも携わっていました。芸能界で成功した弟が兄の仕事を後押ししたというエピソードからも、兄弟のつながりがうかがえます。
【経歴】志村知之さんの東村山市役所時代と公務員としての実績
志村知之さんの経歴で特に注目されるのが、約48年間にわたる東村山市役所での勤務です。
J-CASTニュースの取材によると、知之さんは1969年から東村山市役所に勤務していました。最後に所属していた部署は高齢介護課です。
市民と直接向き合う仕事を担当知之さんが担当していた業務の一つは、保険料の納付に関する説明や相談対応でした。
市民の住宅を一軒ずつ訪問し、保険料について説明したり、相談を受けたりする仕事です。行政の制度を市民に理解してもらうには、単に規則を説明するだけでなく、相手の事情に配慮した対応が必要になります。
知之さん自身も、J-CASTニュースの取材で、市民との信頼関係を築くことの大切さを語っていました。
渡部市長も、知之さんについて市役所内外で人望があり、定年退職後も職場の後輩から残ってほしいと求められた人物だったと振り返っています。
2017年3月31日に完全退職知之さんは定年退職後も、後輩職員の要請を受けて臨時職員として勤務を継続しました。
そして2017年3月31日、東村山市役所での仕事を完全に終えました。翌4月1日には渡部市長が退職をSNSで報告し、4月3日にJ-CASTニュースが本人へのインタビューを掲載しています。
弟が芸能界で国民的な人気を獲得する一方、知之さんは地元行政の現場で長年働いてきました。同じ志村家の兄弟でありながら、異なる分野で社会とのつながりを築いてきたことが分かります。
【兄弟関係・比較表】志村けんと兄の顔がそっくり!家族構成と絆を整理
志村けんさんの兄弟が注目された理由は、3人の顔立ちが似ていることだけではありません。それぞれが異なる立場で生活しながら、仕事や家族を通じて関係を保っていたことも、過去の報道から読み取れます。
志村家の三兄弟の関係一覧| 人物 | 兄弟内の立場 | 経歴・関係性 | 報道で確認できること |
|---|---|---|---|
| 志村知之さん | 長男 | 元東村山市役所職員 | 1969年から勤務し、2017年に完全退職。弟の自宅管理や遺品整理にも携わった |
| 志村美佐男さん | 次男 | 一般企業や弟の個人事務所に関係 | 2021年6月に死去。親族証言では、けんさんと親しい関係だった |
| 志村康徳さん(志村けん) | 三男・末っ子 | コメディアン・タレント | ザ・ドリフターズなどで活躍。2020年3月29日に70歳で死去 |
知之さんと志村けんさんが似ているという話題は、2017年の市長との写真公開をきっかけに広がりました。
特に目元や顔の輪郭、笑ったときの表情などが似ていると注目されました。知之さん本人も顔が似ていると言われることを認めています。
ただし、顔が似ているという話題は主に知之さんについて報じられたものです。次男の美佐男さんについても兄弟として写真が紹介されることがありますが、兄弟全員の容姿について一律に評価する必要はありません。
兄弟の絆を示す具体的なエピソード兄弟の関係を考えるうえで興味深いのが、美佐男さんと志村けんさんの仕事上の関係です。
週刊女性PRIMEの2022年の記事では、親族が、美佐男さんにけんさんがゴルフを教えていたことや、弟の個人事務所で働くようになった経緯を証言しています。
また、知之さんは弟が亡くなった後、約5年間にわたって三鷹市の自宅を管理してきました。仕事を引退した後も弟の住まいや思い出の品に向き合い続けたことは、兄としての責任感を感じさせる出来事です。
志村けんさんの家族関係は、芸能人の華やかな交友関係とは異なる、身近な兄弟としての関係が中心にあったといえます。
【遺産相続と自宅解体】志村けんの遺品整理で兄が下した苦渋の決断
志村けんさんが亡くなった後、家族が直面した大きな問題が遺産相続と自宅の管理でした。
志村さんは生涯独身で、子供はいませんでした。また、両親もすでに亡くなっていたため、兄弟が相続に関わることになりました。
遺産相続はどうなった?2021年のスポニチの報道では、志村さんの資産は不動産を含めて10億円以上とも推定されていました。ただし、この金額は報道上の推計であり、確定した遺産総額が公表されたわけではありません。
相続に関しては、2021年当時、長兄の知之さんと次兄の美佐男さんが相続人となる状況でした。しかし、美佐男さんが2021年6月に亡くなり、その後は美佐男さんの妻も関係することになります。
週刊女性PRIMEが2023年3月に掲載した知之さんへのインタビューでは、相続手続きについて「去年の9月にね」と回答しています。つまり、同記事の報道内容では、2022年9月までに相続の整理が進んでいたことになります。
三鷹市の自宅については、知之さんと美佐男さんの妻が半分ずつの持ち分で相続したと報じられています。
なお、相続税の具体的な金額や全資産の内訳は公開されていません。報道されている推定遺産額と、実際に相続人が取得した財産額は区別する必要があります。
約5年間管理された三鷹市の自宅志村けんさんが暮らしていた東京都三鷹市の自宅は、1987年に建てられた住宅でした。
志村さんが亡くなった2020年3月以降、この家は長期間にわたって空き家となっていました。
女性セブンプラスの2025年3月8日の報道によると、知之さん夫妻は約5年間、弟の自宅を管理していました。ファンが訪れることもあったため、周辺住民への配慮から、人目につきにくい時間帯に訪問し、換気や庭の掃除などを行っていたといいます。
管理の頻度は月に2回ほどでした。しかし、知之さん自身の足腰が弱くなり、杖が必要になるなど、維持管理を続けることが難しくなっていきました。
そのため、2025年1月に大手不動産会社へ売却。3月には解体工事が始まりました。
志村けんの遺品はすべて処分されたのか自宅の解体以上に大きな決断となったのが、大量の遺品整理でした。
志村さんの自宅には、ビデオテープ、DVD、レコード、書籍、衣類、トロフィー、調理器具、食器など、長年の芸能活動や日常生活に関係する品々が残されていました。
コント研究のための映像資料や、三味線の練習に使った教材などもありました。こうした品々は、ファンにとっても貴重な資料になり得るものです。
しかし、知之さん夫妻だけで大量の荷物を運び出し、保管することは現実的ではありませんでした。
女性セブンプラスの取材で、知之さんは、写真の一部を個人事務所に移した一方、それ以外の荷物については業者に処分を依頼したと明かしています。外部に情報が漏れないよう、契約書を交わしたうえでの処分だったと報じられました。
その中で、知之さんが形見として持ち帰ったのが「Shimura」のロゴが入ったデニム地のキャップです。
この帽子は志村さんが誕生日を迎えるたびに作っていたオリジナルキャップの一つで、最後に作られたものだったといいます。
知之さんは、弟が気に入ってよく被っていたこの帽子を、自分の散歩の際にも使っていると話しました。
「できることなら残しておきたかった」
この短い言葉には、弟の遺品を手放さざるを得なかった兄の複雑な心境が表れています。
【2026年最新】志村けんの七回忌と兄・知之さんが明かした後悔
2026年3月29日、志村けんさんは七回忌を迎えました。
七回忌は、亡くなった年を一回忌として数えるため、2020年に亡くなった志村さんの場合は2026年が該当します。
この節目を前に、女性セブンプラスは2026年3月5日、長兄・知之さんへの独占取材記事を公開しました。弟を亡くしてから6年が経過した現在の思いや、実現できなかったお別れ会への後悔を語っています。
七回忌はごく身内だけで執り行う予定2026年2月下旬、知之さんは七回忌を迎える心境について、時間の経過を感じさせる言葉を口にしました。
「早いもんだねぇ…」
知之さんが心残りとして挙げたのは、志村けんさんのお別れ会を正式な形で開催できなかったことです。
志村さんが亡くなった2020年は新型コロナウイルスの感染拡大が深刻だった時期です。多くの人が集まる追悼行事を開催することは難しく、その後、一度はお別れ会の話が出たものの、最終的に実現しませんでした。
知之さんは、時間が経過したことも踏まえ、七回忌については身内だけで済ませる予定だと説明しています。
全国的な知名度を持つ芸能人であっても、家族にとっては大切な弟です。大勢のファンに見送られる機会を作れなかったことへの後悔は、兄としての率直な思いなのでしょう。
2026年4月、東村山市長が知之さんの自宅を訪問七回忌後の2026年4月には、東村山市の渡部尚市長が知之さんの自宅を訪れたことが報じられました。
テレビ朝日系のテレ朝NEWSが2026年4月2日に伝えたところによると、渡部市長は4月1日にSNSを更新し、3月31日に知之さん宅を訪問したことを報告しました。
訪問の目的は、志村家の仏壇に安置された志村けんさんの位牌に線香をあげ、七回忌の供養をすることでした。
渡部市長は知之さん夫妻に対して、法要を終えたばかりの時期に対応してもらったことへの感謝と、健康を気遣う言葉も伝えています。
この訪問は、知之さんが2026年の七回忌を迎えた時点でも、弟の供養を続ける家族として地域とつながっていることを示す報道です。
【東村山駅前の銅像】志村けんの木と再開発で変わる故郷の風景
志村けんさんを語るうえで欠かせない場所が、出身地である東京都東村山市です。
志村さんはザ・ドリフターズのメンバーとして活躍し、1976年には「東村山音頭」を全国的に知られるきっかけを作りました。地元の知名度向上にも大きく貢献しています。
2021年6月、東村山駅前に銅像が完成志村けんさんの死後、全国のファンによるクラウドファンディングなどで約3200万円が集まりました。
その資金を活用して、2021年6月、西武鉄道の東村山駅東口広場に志村けんさんの銅像が設置されました。
銅像は、志村さんが生まれ育った街と全国のファンをつなぐ記念碑的な存在です。毎年2月20日の誕生日には、銅像の前にファンが集まる様子も見られると知之さんは2026年の取材で話しています。
志村けんの木も再整備の対象に東村山駅前には、志村さんの功績をたたえて1976年に植樹された3本のケヤキがあります。長年「志村けんの木」として親しまれてきました。
しかし、東村山駅東口駅前広場の再整備計画によって、銅像やケヤキの配置も見直されることになりました。
2025年の報道では、3本のケヤキのうち2本について伐採や移植が検討されていることが伝えられました。
2026年3月の女性セブンプラスの取材で、知之さんは、3本のうち2本は伐採される見込みで、1本は残ることになりそうだと説明しています。
また、銅像については一時的に別の場所へ移し、駅前の再開発が終わった後に戻ってくると聞いていると話しました。
これは知之さんが取材時点で把握していた予定であり、実際の移設完了や最終的な設置場所が確定したという意味ではありません。
駅前の再整備は、歩行者が利用しやすい広場や交通動線を作るための都市計画です。一方で、地元住民やファンにとっては、長年親しまれてきた記念樹や銅像の存在も大切なものです。
志村さんの功績を後世に伝えるためにも、都市整備と地域の記憶をどう両立させるかが今後の焦点になります。
【2026年現在】志村けんの兄・知之さんの生活と今後の活動
2026年現在、知之さんは東村山市役所を退職してから約9年が経過しています。
2017年の完全退職以降、知之さんは芸能人として活動することなく、弟の遺族として必要な場面で取材に応じてきました。
2023年の週刊女性PRIMEの取材では、志村けんさんの個人事務所を引き継いだことや、次男・美佐男さんの息子とともに事務所を運営することについても語っています。
2025年には自宅の売却と遺品整理について、2026年には七回忌を迎えた心境について取材に応じました。
加えて、2026年4月1日には渡部市長が知之さん宅を訪問したことが報じられています。
一方、知之さんの現在の日常生活や健康状態、具体的な活動内容について、詳細な公表はありません。メディアへの露出も弟の追悼や家族に関する節目の取材が中心です。
知之さんの現在を理解するうえで大切なのは、芸能活動をしている人物ではなく、長年公務員として働いてきた一般の方であるという点です。
弟の死後には、個人事務所の運営や遺産相続、自宅管理、遺品整理といった多くの問題に向き合ってきました。2026年の七回忌も、家族の一員として静かに供養する形を選んでいます。
【志村けんの兄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志村けんの兄の名前は何ですか?
A1:長男は志村知之さん、次男は志村美佐男さんです。志村けんさんは3人兄弟の三男で、末っ子でした。
Q2:志村けんの兄・知之さんは何をしていた人ですか?
A2:長年、東京都の東村山市役所に勤務していた元公務員です。1969年に勤務を開始し、高齢介護課などで働きました。定年後も臨時職員として勤務を続け、2017年3月31日に完全退職しています。
Q3:志村けんと兄は本当に顔がそっくりなのですか?
A3:はい。2017年に東村山市長が公開した知之さんとのツーショット写真が話題になりました。知之さん本人も、弟と顔がよく似ていると言われると取材で話しています。
Q4:志村けんの次男の兄・美佐男さんは現在どうしていますか?
A4:美佐男さんは2021年6月に亡くなったと、2022年の週刊女性PRIMEが報じています。志村けんさんとは親しい関係で、弟の個人事務所に関係する仕事をしていた時期もありました。
Q5:志村けんの遺産相続はどうなりましたか?
A5:2023年の報道では、知之さんが相続手続きは2022年9月に終わったと説明しています。三鷹市の自宅については、知之さんと次兄の妻が半分ずつの持ち分で相続したと報じられています。
Q6:志村けんの自宅は解体されたのですか?
A6:はい。東京都三鷹市にあった自宅は2025年1月に売却され、同年3月に解体工事が始まりました。遺品の大部分は業者に依頼して処分され、知之さんは弟が愛用していた「Shimura」のロゴ入りキャップを形見として残しました。
Q7:2026年の七回忌はどのように行われましたか?
A7:知之さんは2026年3月の取材で、七回忌はごく身内だけで済ませる予定だと話しました。3月31日には東村山市の渡部尚市長が知之さん宅を訪問し、志村家の仏壇に線香をあげたことが4月2日に報じられています。
Q8:東村山駅前の志村けんの銅像はなくなるのですか?
A8:2026年3月の報道では、駅前広場の再整備に伴って一時的に別の場所へ移し、工事終了後に戻す予定だと知之さんが説明しています。ただし、具体的な移設時期や最終的な設置場所については、今後の計画を確認する必要があります。
志村けんさんの兄は、長男の志村知之さんと次男の志村美佐男さんです。志村さんは3人兄弟の末っ子で、兄たちとはそれぞれ異なる人生を歩んできました。
長男の知之さんは1969年から東村山市役所に勤め、2017年に完全退職しました。弟と顔がそっくりだと話題になったことに加え、志村さんの死後には自宅管理や遺産相続、遺品整理にも携わっています。
2025年には三鷹市の自宅が売却・解体され、膨大な遺品も整理されました。知之さんが残したのは、弟が愛用していた「Shimura」のキャップです。現在も散歩の際に身につけているというエピソードは、兄弟の関係を象徴する出来事として印象に残ります。
そして2026年3月29日、志村けんさんは七回忌を迎えました。知之さんは正式なお別れ会を実現できなかったことへの後悔を語りながら、法要は身内だけで行う意向を示しました。
2026年4月には東村山市長が知之さん宅を訪問し、志村家の仏壇に手を合わせています。また、東村山駅前の銅像や「志村けんの木」についても、再開発に伴う今後の扱いが注目されています。
志村けんさんが残したものは、テレビ番組や数々のギャグだけではありません。故郷・東村山の人々とのつながり、兄弟の記憶、そして今も銅像を訪れるファンの思いも、その大切な一部です。
自宅という形ある場所がなくなっても、志村けんさんの笑いと功績は多くの人の記憶に残り続けます。長兄・知之さんが語ってきた家族の歩みは、そのことを改めて伝えています。