1990年代の音楽シーンを代表するロックバンド、JUDY AND MARY(ジュディマリ)。そのギタリストとして活躍したTAKUYAは、解散から25年を迎えた2026年現在も、作曲やギター演奏、音楽プロデュースなどを続けている。近年は台湾からタイ・バンコクへ生活拠点を移したことでも話題になった。
一方、ファンが気にしているのは、2001年に解散したジュディマリの再結成が実現する可能性だ。2026年4月には文春オンラインのインタビューでTAKUYA本人が再結成について明確な考えを語り、YUKIとの現在の関係についても言及している。加入当時のエピソードから解散の真相、ROBOTS、ソロ活動、最新の音楽活動まで整理する。
【プロフィール】JUDY AND MARYのTAKUYAとは?年齢・出身地・ギタリストとしての経歴

TAKUYA(タクヤ)
元JUDY AND MARY・ギタリスト/作曲家/音楽プロデューサー
- 生年月日:1971年9月9日
- 出身地:京都市
- 担当楽器:ギター、ボーカル
- JUDY AND MARY加入:1993年2月
- 関連バンド:ROBOTS
- 2026年11月現在:55歳
TAKUYAは、JUDY AND MARYの後期サウンドを語るうえで欠かせないギタリストだ。ギター演奏だけでなく、作曲、編曲、サウンドプロデュースなど幅広い能力を持ち、バンドのヒット曲にも大きく貢献した。
CDJournalのアーティストプロフィールによると、1971年9月9日、京都市生まれ。1993年にJUDY AND MARYのギタリストとしてデビューし、解散まで活動した。その一方で、自身が企画するバンドROBOTSでも活動し、藤井フミヤや猿岩石などへの楽曲提供も手がけてきた。
TAKUYAがJUDY AND MARYに加入したのはいつ?JUDY AND MARYは1992年2月に結成されたバンドで、TAKUYAは結成時からのメンバーではない。
当初のギタリストが交代した後、1993年2月に正式メンバーとして加入した。つまり、バンドがメジャーデビューする直前に加わった最後のメンバーだった。
2026年4月の文春オンラインのインタビューで、TAKUYAは当時を振り返り、加入したばかりの頃は一部のレコード会社関係者から自分でなくてもよかったという扱いを受けたと明かしている。
しかし、彼はその状況を作曲によって変えていった。
加入後に自分の楽曲を積極的に提案し、1994年の「RADIO」を披露した際には、ディレクターから好意的な反応を得たという。単なる新加入のギタリストではなく、バンドの音楽的な方向性を担う存在へと成長していった。
【代表曲と音楽的才能】TAKUYAの作曲がジュディマリの人気を押し上げた理由
JUDY AND MARYの音楽的な魅力は、YUKIの個性的なボーカルだけではない。
TAKUYAと恩田快人が生み出すメロディー、五十嵐公太のドラム、そして各メンバーの演奏スタイルが組み合わさることで、独特のポップロックサウンドが形成されていた。
ブレイクのきっかけとなった「Over Drive」TAKUYAの作曲家としての評価を大きく高めたのが、1995年の「Over Drive」だ。
文春オンラインのインタビューでTAKUYAは、CMタイアップ曲のコンペで自身の楽曲が選ばれたことを、人生が変わった転機として振り返っている。
初期のジュディマリは、恩田快人が書きためていた楽曲を中心に活動していた。しかし、バンドの人気が急上昇するにつれ、新曲を作る時間が不足していく。
そこでTAKUYAの作曲能力が大きな意味を持つようになった。バンド後期にはTAKUYAが手がける楽曲が増え、サウンド面での存在感も高まっていった。
JUDY AND MARYの代表曲
Over Drive
1995年
TAKUYAの作曲家としての存在感を高めた代表曲。バンドのブレイクを象徴する楽曲。
そばかす
1996年
アニメ『るろうに剣心』のオープニングテーマとしても知られる大ヒット曲。
くじら12号
1997年
ジュディマリらしい疾走感とポップなメロディーが印象的な楽曲。
クラシック
1996年
バンドのメロディーセンスを象徴する人気曲。
散歩道
1998年
1998年のNHK紅白歌合戦でも披露された楽曲。
なお、これらはバンドの代表曲として挙げられる作品であり、すべてがTAKUYA単独の作曲という意味ではない。JUDY AND MARYはYUKI、TAKUYA、恩田、五十嵐のそれぞれが個性を発揮したバンドだった。
ソニーミュージックの公式プロフィールによると、1997年発売の4thアルバム『THE POWER SOURCE』は280万枚を記録。1998年には初の東京ドーム公演を成功させている。
【2001年解散の真相】JUDY AND MARYはなぜ解散した?経緯を時系列で整理
JUDY AND MARYの解散については、メンバー間の不仲や音楽性の違いが原因だったという見方が長年語られてきた。
しかし、2026年4月のTAKUYA本人の証言を読むと、解散は単純な人間関係の問題だけでは説明できないことが分かる。
解散までの主な出来事| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1992年2月 | JUDY AND MARY結成 |
| 1993年2月 | TAKUYAが正式加入 |
| 1993年9月22日 | 「POWER OF LOVE」でメジャーデビュー |
| 1995年 | 「Over Drive」で人気が拡大 |
| 1998年12月 | 初の東京ドーム公演。その後、約1年間活動休止 |
| 2000年2月 | 「Brand New Wave Upper Ground」で活動再開 |
| 2001年1月9日 | 解散を正式発表 |
| 2001年2月7日 | 最後のオリジナルアルバム『WARP』発売 |
| 2001年3月7・8日 | 東京ドーム公演をもって解散 |
2026年4月11日掲載の文春オンラインのインタビューで、TAKUYAは解散の経緯を具体的に説明している。
恩田快人が脱退するという話も実際にあったという。しかし、TAKUYAの記憶では、最初に解散を口にしたのは当時の事務所の社長だった。
背景には、バンドの巨大化に伴う経営上の問題があった。
- 関係会社から売り上げについての要求が続いていた。
- バンドを支えるスタッフが増え、組織が大きくなっていた。
- 活動を継続するのかどうかを明確にする必要が生じていた。
- メンバー自身も、成功した状態でかっこよく解散するという考えを以前から持っていた。
つまり、音楽的な問題だけではなく、ビジネス面や組織運営の問題も重なっていたのである。
メンバー全員が解散を受け入れた理由TAKUYAによると、バンドが最初のアルバムを制作するためのプリプロダクション合宿をしていた頃から、メンバー間では「大成功してかっこよく解散しよう」という話が出ていた。
そして、実際に解散を真剣に話し合う時期が訪れたとき、全員がそのタイミングを受け入れたという。
東京ドームに立つという目標も達成していた。まだ音楽を続ける余地はあったものの、やり残したことはなかったというのがTAKUYAの振り返りだ。
ソニーミュージックの公式記録でも、2001年1月9日の解散宣言、2月の『WARP』発売、3月7・8日の東京ドーム公演という流れが確認できる。
【解散後の活動】ROBOTS・ソロ活動・楽曲提供で広がったTAKUYAの音楽人生
JUDY AND MARYの解散後も、TAKUYAは音楽活動をやめていない。
むしろ、バンドという枠組みから離れたことで、ギタリスト、ボーカリスト、作曲家、プロデューサーという複数の立場で活動するようになった。
ROBOTSはジュディマリ時代から始まっていたROBOTSは、TAKUYA自身が企画した音楽プロジェクトだ。
帝国的な意味でのジュディマリ解散後の新バンドというより、実際には1992年に結成されていた活動である。
レコード会社のアーティストプロフィールによると、主な歩みは次のとおり。
- 1992年:ROBOTS結成。
- 1996年:ROBOTSとして活動再開。
- 1997年:「コイビト」でシングルデビュー。
- 1997年:1stアルバム『GUITAR DE POP』発売。
- 1998年:2ndアルバム『クラウドコレクター』発売。
- 2007年:3rdアルバム『DYING MUSIC』発売。
ROBOTSではTAKUYA自身がボーカルとギターを担当。JUDY AND MARYとは異なる音楽的な方向性を追求した。
2002年からはソロアーティストとしても活動2002年にはソロデビューシングル「i love you」を発表。同年には1stアルバム『THE WIDE WILD WORLD』もリリースしている。
その後も、アーティストへの楽曲提供やサウンドプロデュースなど、表舞台に立つ演奏活動だけにとどまらない仕事を続けてきた。
ソニーミュージックパブリッシングの作家プロフィールでも、TAKUYAの担当領域は以下のように紹介されている。
- ギター、ベース、ボーカル
- 作詞・作曲・編曲
- サウンドプロデュース
- レコーディングやボーカルディレクション
- ステージプロデュース
特に台湾などアジア圏のアーティストへの楽曲提供やプロデュースも活動領域に含まれている。
TAKUYAのギタリストとしての評判TAKUYAの魅力は、単純な速弾きやテクニックの派手さだけではない。
JUDY AND MARYの楽曲で聴けるカッティングやアルペジオには、ボーカルの存在感を引き立てながら、曲全体に独特の躍動感を与える役割がある。
2026年2月のSmart FLASHの記事でも、ファンからギターのカッティングやアルペジオのセンスを評価する声が紹介された。
評価の要点は、演奏技術だけでなく、メロディーを生み出す作曲能力と、バンド全体のサウンドを組み立てるプロデュース力にある。
【ジュディマリメンバーの現在】YUKI・TAKUYA・恩田快人・五十嵐公太は何をしている?
JUDY AND MARYは解散したものの、4人が音楽活動そのものを終えたわけではない。
2026年現在、それぞれが異なる方向でキャリアを築いている。
| メンバー | バンドでの役割 | 解散後・2026年の活動 |
|---|---|---|
| YUKI | ボーカル | ソロアーティストとして活動。2026年もライブ出演などを発表。 |
| TAKUYA | ギター | 作曲、プロデュース、ROBOTS関連の音源制作、ライブ活動。バンコクを拠点とする。 |
| 恩田快人 | ベース・リーダー | ベーシスト、音楽プロデューサー。Whiteberryなどのプロデュースや楽曲提供でも知られる。 |
| 五十嵐公太 | ドラム | ドラマー、作曲家、音楽プロデューサー。2025年には音楽スクールの校長職などを辞任し、個人の音楽活動に専念すると発表。 |
YUKIはJUDY AND MARY解散後、ソロアーティストとして独自の音楽活動を展開してきた。
2026年10月19日には、ソニーミュージックの公式ニュースで「FM802 RADIO CRAZY 2026」への出演決定が発表されている。
TAKUYAとは異なる活動スタイルを築き、現在もソロ名義で音楽シーンに立ち続けている。
恩田快人はプロデューサーとしても活躍恩田快人はJUDY AND MARYの発起人であり、リーダーを務めたベーシストだ。
解散後はWhiteberryのプロデュースをはじめ、他アーティストへの楽曲提供などにも携わってきた。
五十嵐公太は演奏と音楽活動に専念五十嵐公太は、バンド解散後もレコーディングやライブサポート、作曲、音楽教育など幅広い活動を展開してきた。
2025年6月には、自身が設立したミュージックスクールの校長などを辞任し、個人の音楽活動に専念する方針を発表している。
このように、4人はそれぞれ別の道を歩んでいる。解散後も全員が音楽に関わっていることは、ジュディマリというバンドが単なる一時的な人気グループではなかったことを示している。
【2026年最新】TAKUYAはバンコク移住後も音楽活動を継続中
2026年のTAKUYAを語るうえで大きなニュースとなったのが、タイ・バンコクへの移住だ。
2026年2月、サンケイスポーツの報道をきっかけに、TAKUYAが2025年秋からバンコクで生活していることが広く知られるようになった。
台湾からバンコクへ移住した理由TAKUYAは2023年から台湾・台北を生活拠点としていた。
文春オンラインの2026年4月のインタビューによると、台湾への移住には、東京でできることをやり終えたという気持ちに加え、暖かい地域で生活したいこと、中国語を学びたいことなどが関係していた。
その後、タイを訪れたことが新しい転機となった。
本人は、2025年3月に久しぶりにタイを訪問した際、街の変化に驚いたと説明している。中国語もある程度習得できたことから、さらに新しい世界に進みたいという思いが生まれ、バンコクへの移住を決めたという。
また、2026年4月のインタビューでは、日本に戻る可能性についても明言を避けており、仮に戻るとしても東京以外の場所を考えていると語った。
2024年には心臓の手術を経験TAKUYAの近況を理解するうえでは、健康面の出来事も重要だ。
2026年2月のリアルサウンドのインタビューでは、2023年12月の健康診断で心房細動が判明し、2024年11月にカテーテルアブレーション手術を受けた経緯を本人が説明している。
手術後は激しい運動を控え、2025年春頃からトレーニングを再開。2025年10月には約1年ぶりとなるライブにも出演した。
加えて、手術前に制作した楽曲は約50曲に及び、以前から発表していなかったROBOTS時代の音源も含めて、現在の自分の声で歌い直す作業を進めていたという。
本人は、現在の制作環境について、締め切りに追われるのではなく、自分のペースで作品を完成させられることに充実感を覚えていると話している。
2026年4月のインタビューでは、不整脈の症状が再び少し出ていることにも言及していた。健康状態については、手術を終えたからすべて解決したという状況ではない。
2026年10月にはライブを開催2026年はTAKUYAにとって、ライブ活動を再び広げていく年でもある。
CDJournalの2026年8月25日の報道では、TAKUYA率いる「TAKUYA and the Cloud Collectors+」が10月13日・14日に東京・高円寺HIGHでライブを開催すると発表された。
この公演は、TAKUYAの音楽活動35周年を記念した企画で、2019年にライブ会場限定で販売されたアルバムの再発売も予定されていた。
また、同年8月には第5中足骨の骨折を公表。10月のライブでは椅子に座って演奏する可能性があると説明していた。その後、10月13日・14日の公演については、観客によるライブレポートも公開されている。
海外に拠点を置きながら、日本でのライブにも取り組む。2026年のTAKUYAは、バンド時代の再現ではなく、自分のペースで音楽を続ける方向に進んでいる。
【YUKIとの関係と再結成】TAKUYA本人が語ったジュディマリ復活の可能性
ジュディマリの話題になると、必ずといっていいほど注目されるのがTAKUYAとYUKIの関係、そして再結成の可能性だ。
2人はバンドの中心的な存在であり、YUKIのボーカルとTAKUYAの作曲・ギター演奏は、JUDY AND MARYの音楽を特徴づける大きな要素だった。
TAKUYAが明かしたYUKIとの出会い2026年4月の文春オンラインのインタビューで、TAKUYAはYUKIと初めて会ったときの印象を振り返っている。
オーディション会場のエレベーターで初めて顔を合わせた際、YUKIの強い意欲とハングリー精神に驚いたという。
当初は女性ボーカルのバンドで成功するイメージを持っていなかったものの、YUKIと出会ったことでその考えが覆されたと語っている。
互いに強い野心を持っていたことが、バンドの可能性を感じるきっかけになったようだ。
解散後、YUKIとは会っていない?同じインタビューで、TAKUYAは解散後のYUKIとの関係についても説明している。
「YUKIは東京ドームの解散コンサートから会っていないですね。」
出典:文春オンライン、2026年4月11日掲載インタビュー。
TAKUYAは、作曲やスタジオでの裏方仕事が中心だったこと、日本にいる時間が少なかったことなどが、会う機会がなかった理由だと説明している。
この発言から分かるのは、少なくとも本人の説明では、解散後に2人が再び顔を合わせる機会がなかったということだ。
一方、これをそのまま不仲の証拠と結びつけることはできない。現在の個人的な関係について、双方が詳細を公表しているわけではないためだ。
2026年4月、TAKUYAは再結成を明確に否定今回、特に注目すべきなのが再結成に関する本人の発言だ。
文春オンラインの2026年4月11日のインタビューで、TAKUYAはJUDY AND MARYをアスリートの集まりに例えた。
20年前と同じメンバーで再びチームを組み、同じ目標を目指すことは現実的ではないという考えだ。
加えて、再結成については次のような事情も説明している。
- 当時の事務所とレコード会社がともにソニーだったこと。
- 当時のスタッフの多くが退職していること。
- 昔の音楽作品に関する契約や権利関係を現在の関係者が把握しにくいこと。
- YUKI自身も再結成を望むとは思わないというTAKUYAの見方。
また、過去にYUKI以外のメンバーが集まり、JUDY AND MARYの楽曲を演奏したことはあるものの、それを本格的な再結成として考えていたわけではないと話している。
重要なのは、バンドの再結成が難しい理由を、単純なメンバー間の不仲だけに求めていない点だ。
音楽活動の方向性、本人たちの現在の生活、作品の権利関係、当時の制作体制など、複数の条件が重なっている。
2026年11月現在、TAKUYA本人の公表された考えは再結成に否定的であり、JUDY AND MARYの再結成が正式に決定したという発表もない。
【よくある質問】ジュディマリTAKUYAに関するFAQ
Q1:JUDY AND MARYのTAKUYAは現在何歳ですか?
1971年9月9日生まれのため、2026年11月現在は55歳です。京都市出身のギタリストで、作曲や音楽プロデュースも手がけています。
Q2:TAKUYAがジュディマリに加入したのはいつですか?
1993年2月です。同年9月22日に「POWER OF LOVE」でメジャーデビューしました。
Q3:TAKUYAは現在どこに住んでいますか?
2025年秋からタイのバンコクに移住したと報じられています。それ以前は2023年から台湾・台北を拠点にしていました。
Q4:TAKUYAはジュディマリ再結成について何と発言していますか?
2026年4月の文春オンラインのインタビューで、再結成の可能性を否定しています。現在の生活や音楽活動を踏まえた本人の明確な考えです。
Q5:TAKUYAはROBOTSでも活動していたのですか?
はい。ROBOTSは1992年に結成されたTAKUYAの音楽プロジェクトです。1997年にシングルデビューし、アルバムも発表しています。ジュディマリ解散後もソロ活動や楽曲制作に関連する音源制作を続けています。
Q6:TAKUYAとYUKIは現在も交流がありますか?
TAKUYAは2026年のインタビューで、2001年の東京ドーム解散コンサート以降、YUKIとは会っていないと説明しています。現在の個人的な交流について、それ以上の詳細は公表されていません。
Q7:TAKUYAは2026年もライブ活動をしていますか?
はい。2026年10月13日・14日には「TAKUYA and the Cloud Collectors+」として高円寺HIGHでライブを開催しました。作曲やレコーディングだけでなく、ステージ活動にも取り組んでいます。
JUDY AND MARYのギタリストTAKUYAは、1993年の加入から2001年の解散まで、バンドの音楽的な成長を支えた重要人物だ。特に「Over Drive」のヒットは、ギタリストとしてだけでなく、作曲家としての才能が広く認められる大きな転機となった。
解散後はROBOTSやソロ活動、アーティストへの楽曲提供、音楽プロデュースなどに活動を広げている。2023年の台湾移住、2025年秋のバンコク移住、2024年の心臓手術という転機を経ても、音楽制作への意欲は衰えていない。
一方、ジュディマリの再結成については、2026年4月のインタビューで本人が明確に否定的な考えを示した。YUKIとの再会も実現していないと説明している。
TAKUYAの現在を理解するうえで大切なのは、ジュディマリの元ギタリストという過去だけで人物を捉えないことだ。バンドで培った作曲能力と演奏技術を生かしながら、海外を拠点に新しい音楽活動を続けている。かつてのジュディマリを懐かしむファンにとっても、現在のTAKUYAが生み出す作品やライブは、今後も注目する価値のあるものだ。