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【結論】豊臣秀吉の身長は140cm台?それとも154cm?

高杉 葵 高杉 葵 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

最初に、2つの説の根拠を整理しておこう。秀吉の身長について広く紹介されている数字は、主に140cm台と154cmの2種類だ。

有力な推定値として紹介される数字



140cm台説

140cm台

豊臣秀吉身長

篠田達明『日本史有名人の身体測定』で紹介された推定値


154cm説

154cm


小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』で紹介された、着用した鎧などを手掛かりにした推定値

ここで大切なのは、140cm台説も154cm説も、秀吉本人の身長を直接測定した記録ではないという点だ。

140cm台説は、歴史上の人物の身体的特徴を調べた現代の著作に掲載された推定値。一方、154cm説は、秀吉が着用したとされる甲冑などの物的資料を手掛かりにしている。

したがって、両者を単純に「正解と間違い」に分けることはできない。特に154cmという数字は、具体的な遺品を根拠にしている点で興味深いが、甲冑の寸法と着用者の身長は必ずしも一致しない。

2026年現在、最も正確な答えは、秀吉は小柄だった可能性が高いものの、実際の身長は140cm台から154cm前後まで推定に幅があるというものだ。

【140cm台説の根拠】篠田達明の『日本史有名人の身体測定』に注目

140cm台説を知るうえで外せないのが、医師・作家の篠田達明が2016年にKADOKAWAから刊行した『日本史有名人の身体測定』だ。

この本は、歴史上の人物132人を対象に、身長や体重、持病、死因などを取り上げた著作である。単なる人物紹介ではなく、身体的な特徴から歴史上の人物の実像に迫るという切り口が特徴だ。

石川県立図書館の書誌紹介では、豊臣秀吉について140cm台と紹介されている。また、大阪府立中央図書館の2016年の書籍紹介では、秀吉140cm、織田信長170cm、徳川家康159cmという比較が掲載されている。

つまり、140cm台説は根拠のないインターネット上の数字というより、実在する歴史人物研究の著作を通じて広まった推定値なのである。

ただし、同書の紹介情報だけでは、140cm台という数値を導くために使用した個々の史料や計算過程までは確認できない。したがって、140cmという数字を確定した身体測定結果として扱うのは適切ではない。

なぜ秀吉は140cm台と推定されたのか

背景にあるのは、同時代の人物による容姿の記録だ。

フロイスや姜沆の記述には、秀吉の身体が小柄だったという共通した印象が見られる。後世の歴史研究者がこうした記録を検討する際、当時の平均身長や他の身体的資料も重要な判断材料となる。

ただし、「小柄だった」という表現から140cmという具体的な数字を直接導き出すことはできない。身長が低いという評価は、同時代の人々との比較や観察者の主観にも左右されるからだ。

140cm台説を理解するには、数値そのものだけでなく、どの資料を組み合わせて推定したのかという点にも注目する必要がある。

【154cm説の根拠】秀吉が着用した甲冑から身長を推定

140cm台説と並んで注目されるのが、豊臣秀吉の身長を154cmとする説だ。

この数字は、歴史学者・小和田哲男の著書『秀吉の天下統一戦争』(吉川弘文館、2006年)を紹介した記事などで取り上げられている。

同書についてのダイヤモンド・オンラインなどの紹介記事では、秀吉が着用したことが確実とされる鎧などを手掛かりに、身長を154cm、体格も華奢だったと推定している。

ここで重要なのは、秀吉に関係する甲冑が現存していることだ。単なる肖像画の印象だけでなく、実際の武具を検討できるという点に、154cm説の特徴がある。

仙台市博物館に残る秀吉所用の甲冑

具体的な資料として知られるのが、仙台市博物館所蔵の銀伊予札白糸威胴丸具足である。

仙台市博物館の公式収蔵品情報によると、この甲冑は豊臣秀吉所用とされ、伊達政宗が秀吉から拝領したものだ。

その経緯は天正18年(1590年)にさかのぼる。奥州仕置のため会津へ向かう秀吉を、政宗が宇都宮まで出迎えた際に拝領したとされている。

博物館が公表している寸法は次のとおりだ。


銀伊予札白糸威胴丸具足


胴の高さ
32.5cm


兜の高さ(毛先まで)
27.0cm


時代
桃山時代・16世紀


材質
皮製・銀箔押


文化財指定
重要文化財

この甲冑は、秀吉の体格を考えるうえで貴重な実物資料だ。しかし、注意したいのは、胴の高さ32.5cmが着用者の身長を意味するわけではないこと。

甲冑は胴、兜、草摺など複数の部品で構成され、着用者の体格に合わせた調整や着付けも関係する。胴の寸法だけから全身の身長を逆算することはできない。

加えて、現存する甲冑のすべてが秀吉本人の身体寸法をそのまま保存しているわけではない。伝来の過程や修復、部品の交換なども検討する必要がある。

そのため、154cm説は物的資料を伴う興味深い推定ではあるが、本人の身長を確定する直接証拠ではない。

【史料を徹底比較】フロイス『日本史』と姜沆『看羊録』が伝える秀吉の容姿

秀吉が小柄だったという説を支える重要な材料が、同時代に近い人物による記録だ。特に注目したいのが、ルイス・フロイスの『日本史』と、朝鮮の儒学者・姜沆の『看羊録』である。

1.ルイス・フロイスの『日本史』

は、16世紀後半に日本で活動したポルトガル出身のイエズス会宣教師だ。30年以上にわたって日本に滞在し、織田信長や豊臣秀吉の時代を記録した。

彼の著作『日本史』には、秀吉の容姿についての記述がある。

フロイスは秀吉について、身長が低く、容貌も美しいとはいえない人物として描写している。また、目が突出していたことや、髭が少なかったことなど、身体的特徴にも触れている。

こうした記述は、秀吉が当時どのような外見の人物として認識されていたのかを考える重要な材料だ。

ただし、フロイスは宣教師という立場から日本の政治や人物を観察しており、その文章には個人的な評価や宗教的・文化的な視点も含まれる。「身長が低い」という描写を、そのまま現代のセンチ単位に変換することはできない。

2.姜沆の『看羊録』

もう一つの重要史料が、朝鮮の儒学者・姜沆が残した『看羊録』である。

姜沆は文禄・慶長の役のさなか、1597年に日本軍に捕らえられ、日本へ連行された人物だ。1600年8月に帰国するまでの経験や日本で見聞したことを記録した。

『看羊録』では、秀吉について容貌が醜く、身体が小柄で、猿のような印象を与える人物だったという趣旨の描写がある。

この記録は、秀吉の容姿に対する当時の評価を知るうえで興味深い。ただし、姜沆自身が秀吉と直接面会して容姿を観察した証言として扱うことには注意が必要だ。秀吉についての情報には、滞在中に得た伝聞や評判が含まれている。

つまり、フロイスの記録と姜沆の記録は、秀吉が小柄と認識されていたことを考える材料にはなるが、身長の実測値を示すものではない。

3.2つの史料はどこまで一致しているのか

両者に共通しているのは、秀吉の体格が大柄ではなく、容姿についても好意的とは限らない評価が記されていることだ。

ただし、記録者の立場や情報源は異なる。フロイスは日本に長く滞在した宣教師であり、姜沆は朝鮮出兵によって日本へ連行された儒学者である。

異なる立場の記録に小柄という印象が共通していることは、秀吉が実際に小柄だった可能性を考えるうえで意味がある。一方で、両者の文章から140cmや154cmという具体的な数字を導くことはできない。

【戦国時代の平均身長は157cm】信長・秀吉・家康を数字で比較

秀吉の身長を考えるとき、現代人の平均身長を基準にするだけでは不十分だ。

戦国時代から安土桃山時代にかけての日本人男性は、現代の日本人男性よりも平均身長が低かった。時代背景を踏まえると、秀吉の体格に対する評価も変わってくる。

戦国時代の男性平均身長は約157cm

室町時代から江戸時代にかけての平均身長を知る手掛かりの一つが、発掘された人骨の分析だ。

東京都江戸東京博物館のレファレンス情報によると、江戸時代の男性の平均身長は、おおむね155〜158cmと推定されている。推定には主に大腿骨の長さが利用され、採用する計算式や標本によって数値に差が生じる。

また、長野市立長野図書館が紹介する『日本人のからだ』(鈴木隆雄著)のデータでは、関東地方から出土した成人男性の人骨について、室町時代の平均推定身長は約156.8cmとされている。

この数字から、戦国時代に近い時期の男性平均を約157cmとする説明には一定の根拠がある。ただし、室町時代の人骨の統計が、戦国時代の全国民をそのまま代表するわけではない。

秀吉・信長・家康の推定身長比較

篠田達明の『日本史有名人の身体測定』で紹介されている数字を中心に比較すると、三英傑の体格には次のような違いが見えてくる。

人物・基準 推定身長 比較上の特徴 織田信長 約170cm 当時の平均より高い推定 豊臣秀吉 約140cm台 三英傑の中でも小柄とされる 豊臣秀吉(別説) 約154cm 甲冑などを手掛かりにした推定 徳川家康 約159cm 当時の平均に近い推定 室町時代の男性平均 約157cm 人骨からの平均推定値

出典:篠田達明『日本史有名人の身体測定』、大阪府立中央図書館の書籍紹介、鈴木隆雄『日本人のからだ』の紹介資料。人物の数値は実測値ではなく推定値。

この比較から分かるのは、秀吉の身長をどちらの説で考えるかによって、当時の平均との距離が大きく変わるということだ。

仮に154cmだった場合、平均約157cmとの差は約3cm。平均より少し低い程度になる。

一方、140cm台だった場合は、平均より8〜17cm程度低い計算になる。仮に140cmとすれば、約17cmの差だ。

つまり、154cm説なら「当時としてはやや小柄」、140cm説なら「当時の平均と比べてもかなり小柄」という評価になる。

なお、信長の170cmや家康の159cmも、篠田の著作などで紹介される推定値であり、現代の健康診断のような実測記録ではない。三英傑の身長ランキングを確定的な史実として受け取るのは避けたい。

【秀吉の身長が低い理由】小柄な体格と猿のイメージはどう広まった?

秀吉の身長が話題になる背景には、単純な体格の問題だけでなく、後世に形成された人物イメージも関係している。

1.同時代の人物から小柄と評価されていた

フロイスや姜沆の記述には、秀吉の身体が小柄だったという共通した印象が見られる。

秀吉は農民とも武士とも説明される出自から、織田信長の家臣を経て天下人に上り詰めた人物だ。周囲の有力武将と比べて体格が大きくなかったことは、当時の人々にとっても印象に残る特徴だった可能性がある。

ただし、秀吉の身長が低かった理由を特定の病気や栄養状態に結び付ける医学的資料はない。幼少期の栄養不足や遺伝などを、個人の身長の原因として断定することはできない。

2.「猿」という呼び名が外見の印象を強めた

秀吉には、猿に似た人物というイメージが長く付きまとってきた。

姜沆の『看羊録』にも猿を連想させる描写があり、後世の軍記物や人物伝でも秀吉の容貌は特徴的に語られてきた。

ただし、猿に似ていたという表現は、顔立ちや動作、身のこなしなどを含む比喩的な人物評でもある。猿に似ているから140cm台だったというような因果関係は成立しない。

また、秀吉の俊敏さや機敏な行動を猿にたとえた可能性も考慮すべきだ。外見に関する記録を読むときは、身体的特徴と比喩表現を分けて考えたい。

3.肖像画から身長を判断することは難しい

秀吉の肖像画を見ると、顔や体つき、服装などの特徴は分かる。しかし、肖像画の人物が実際に何cmだったのかを判断することはできない。

肖像画は、注文主の意向や画家の表現、当時の美意識などによって描かれ方が変わる。人物の威厳を表現するために、実際の体格とは異なる印象になる可能性もある。

秀吉の身長を考える際には、肖像画だけでなく、文章史料や甲冑などの物的資料を組み合わせる必要がある。

4.現代人の感覚で戦国時代の体格を判断してしまう

もう一つの誤解は、現代人の平均身長を基準に秀吉を評価してしまうことだ。

現在の日本人男性の平均身長は約170cm前後だが、室町時代や江戸時代の男性の平均は約157cm前後と推定されている。

現代の基準では154cmはかなり小柄に感じられるものの、当時の平均との差は約3cmにすぎない。時代背景を考慮せずに秀吉を極端な低身長だったと決め付けるのは、歴史的な比較として正確ではない。

【プロの結論】豊臣秀吉の身長の真相を見極める3つの判断基準

ここまでの史料と推定値を整理すると、秀吉の身長を考えるうえでは、数字の大きさよりも、その数字がどのような根拠から導かれたかが重要になる。

特に押さえておきたいのは、次の3点だ。

判断基準1:同時代の人物評と実測値を混同しない

フロイスや姜沆の記録は、秀吉が小柄だったという人物評を裏付ける重要な資料だ。しかし、身長を数字で測定した記録ではない。

「小柄だった」という史料上の評価と「140cmだった」という現代の推定値は、証拠としての性質が違う。両者を同じレベルで扱わないことが大切だ。

判断基準2:甲冑は有力な物的資料だが、身長計ではない

秀吉所用とされる甲冑が現存していることは、154cm説を考えるうえで要点だ。

しかし、甲冑は人体そのものではない。胴の長さや兜の寸法から、着用者の全身の身長を正確に決めることは難しい。

甲冑を根拠とする場合も、どの部品の寸法を用いたのか、着用者との関係がどこまで確認できるのかを検討する必要がある。

判断基準3:当時の平均身長と比較する

140cm台と154cmでは、当時の平均身長との距離が大きく異なる。

約157cmという平均値を基準にすると、154cmは平均に近く、140cm台は明らかに小柄な範囲に入る。

この違いを理解しておけば、秀吉がどれほど小柄だったのかを、現代の感覚だけに頼らず考えられる。

現段階での評価としては、秀吉が同時代の記録で小柄と評されていたことは確かだが、140cm台と154cmのどちらが実際の身長に近いかは確定していない。154cm説には甲冑という物的資料に基づく推定の利点がある一方、140cm台説にも歴史人物の身体的特徴を検討した著作上の根拠がある。

どちらか一方を絶対的な正解として扱うより、推定の根拠と限界を理解することが、秀吉の実像に近づく方法だ。

【豊臣秀吉の身長】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:豊臣秀吉の身長は結局何cmだったのですか?

A1:正確な身長は確定していない。代表的な推定には140cm台説と154cm説がある。篠田達明の『日本史有名人の身体測定』では140cm台、小和田哲男の『秀吉の天下統一戦争』を紹介した記事では154cmとされている。

Q2:豊臣秀吉の身長が140cm台だったという説は本当ですか?

A2:篠田達明の著書などに掲載されている実在の推定説だ。ただし、秀吉本人の身長を140cm台と確定する直接的な測定記録があるわけではない。

Q3:豊臣秀吉の154cm説は甲冑から分かったのですか?

A3:着用したことが確実とされる鎧などの資料を手掛かりにした推定として紹介されている。ただし、甲冑の寸法と着用者の身長は同じではなく、154cmは実測値ではない。

Q4:戦国時代の男性の平均身長は何cmでしたか?

A4:室町時代に近い人骨の分析では、男性の平均推定身長は約156.8cm。戦国時代に近い時期の目安として約157cmという数字が使われる。ただし、地域や標本、推定方法によって差がある。

Q5:豊臣秀吉は織田信長や徳川家康より小さかったのですか?

A5:篠田達明の著作で紹介される推定では、信長約170cm、秀吉約140cm、家康約159cm。秀吉が最も小柄とされている。ただし、3人とも現代の実測記録ではなく、推定値による比較だ。

Q6:ルイス・フロイスは秀吉の身長について何と記録していますか?

A6:『日本史』で、秀吉の身長が低く、容貌も美しいとはいえない人物だったという趣旨の記述を残している。具体的なセンチ数は記載されていない。

豊臣秀吉の身長には、140cm台説と154cm説という2つの代表的な推定がある。

140cm台説は、篠田達明の『日本史有名人の身体測定』などで紹介されている。一方の154cm説は、小和田哲男の著作を紹介した記事などで、秀吉が着用した甲冑を手掛かりにした推定として取り上げられている。

フロイスの『日本史』や姜沆の『看羊録』には、秀吉が小柄だったという人物評が残る。また、戦国時代に近い室町時代の男性平均身長は約157cmと推定されており、現代人とは異なる体格の時代だったことも分かる。

2026年現在、秀吉の身長をセンチ単位で確定できる直接的な測定記録は確認されていない。したがって、現時点では「小柄だったことを示す史料はあるが、140cm台か154cmかは決着していない」という理解が最も妥当だ。

天下統一という大事業を成し遂げた秀吉。その人物像を考えるとき、身長の数字だけに注目するのではなく、同時代の記録、現存する甲冑、当時の日本人の平均身長を組み合わせて考えることが、歴史をより立体的に理解する手掛かりになる。

主な参考資料

- 篠田達明『日本史有名人の身体測定』(KADOKAWA、2016年)
- 小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』(吉川弘文館、2006年)
- ルイス・フロイス『完訳フロイス日本史』松田毅一・川崎桃太訳(中央公論新社)
- 姜沆『看羊録』
- 鈴木隆雄『日本人のからだ』(朝倉書店、1996年)
- 仙台市博物館「主な収蔵品・武器・武具」
- 東京都江戸東京博物館「江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか」
- 大阪府立中央図書館「本蔵―知る司書ぞ知る(24号)」

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アイドル・グラビア担当。所属事務所の公式発表を一次情報とし、憶測は書きません。

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