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【来日の歴史】モンゴル人力士はなぜ日本の相撲界に入ったのか

水沢 陽菜 水沢 陽菜 • 更新: • 公開: • 読了約 13 分
目次

モンゴル出身力士の歴史を理解するには、1992年までさかのぼる必要がある。

現在のように横綱や大関を次々と輩出する状況は、最初から整っていたわけではない。言葉や食生活、上下関係の違いに戸惑いながら、異国の相撲部屋で生活を始めた若者たちがいた。

1992年、大島部屋に最初の6人が入門

1992年2月、当時の大島親方(元大関・旭國)はモンゴルのウランバートルで新弟子を募集した。

応募者は150人以上。選考を経て来日した6人は、次のとおりだ。

- 旭鷲山
- 旭天鵬
- 旭天山(当時・旭嵐山)
- 旭鷹
- 旭雪山
- 旭獅子

同年3月の春場所で初土俵を踏み、モンゴル出身力士の歴史が始まった。

しかし、入門後の生活は厳しかった。

1992年8月には、旭天山を除く5人が相撲部屋を離れ、渋谷のモンゴル大使館に駆け込む出来事が起きた。最終的に旭鷲山、旭天鵬、旭天山の3人が角界に残り、後のモンゴル勢の活躍につながっていく。

この出来事は、外国出身力士の受け入れ体制を考える大きな契機にもなった。日本相撲協会は外国人力士の新規入門を自粛し、1998年九州場所に再開した際には、原則として1部屋1人という制限を設けた。

旭鷲山が切り開いた道と朝青龍の登場


モンゴル出身初の関取、初の幕内力士、初の三役昇進を果たした先駆者。最高位は小結。

旭鷲山は1995年春場所に初のモンゴル出身関取となり、その多彩な技で人気を集めた。「技のデパート・モンゴル支店」という呼び名も生まれた。

続いて旭天鵬も幕内に定着し、モンゴル国内で大相撲への関心が高まっていった。先輩力士の活躍は、後から日本を目指す若者にとって大きな目標になった。

1997年には、後に第68代横綱となる朝青龍が明徳義塾高校への相撲留学生として来日。高校での経験を経て角界に入り、2002年11月場所でモンゴル出身力士初の幕内優勝を達成した。

翌2003年3月には横綱に昇進。これがモンゴル出身初の横綱誕生だった。

モンゴルから日本へ来るルートは一つではない

その後のモンゴル出身力士は、さまざまな経緯で日本の相撲界に入っている。

代表的なルートは次の3つだ。

1. 日本の高校への相撲留学

朝青龍や朝赤龍のように、日本の高校で相撲を学び、卒業前後に角界入りするルート。日本語や日本の生活習慣に慣れながら競技経験を積める。

2. モンゴル国内でのスカウト

相撲関係者や部屋の関係者が現地で有望な若者を発掘する方法。1992年の大島部屋の募集が代表例だ。

3. 力士や関係者の人脈

先輩力士の紹介や、モンゴル国内での競技経験を通じて入門につながるケースもある。白鵬は旭鷲山とのつながりを頼って来日した経緯が紹介されている。

こうしたルートの多様化によって、モンゴル勢は一時的な外国人力士の集団ではなく、継続的に新しい人材を角界へ送り込む存在になった。

【強さの理由】モンゴル人力士が大相撲で活躍する5つの背景

モンゴル出身力士

なぜモンゴル出身力士は、これほど多くの横綱や優勝力士を輩出してきたのか。

その理由を、単純に体格や生まれ持った身体能力だけで説明することはできない。伝統競技、競技環境、人材発掘、個人の努力、日本の相撲部屋での育成が複合的に作用している。

1. 伝統競技「ブフ」で培われる技術

モンゴルには、伝統的な格闘競技「ブフ(モンゴル相撲)」がある。

日本の大相撲と異なり、ブフには円形の土俵がない。相手の身体を崩して倒すことが勝敗に直結するため、組み手、投げ、足技、重心の移動など、多様な技術が発達している。

この経験は大相撲でも生かされる。

特に、次のような能力との関連が指摘されている。

- 相手の重心を見極める感覚
- 組み合った状態でのバランス維持
- 投げ技や足技への対応力
- 相手の動きに合わせる反応速度
- 不利な体勢から立て直す技術

競技文化と大相撲の技術が融合することで、独自の取り口が形成されてきた。

ただし、モンゴル出身の力士が全員ブフの経験者というわけではない。レスリングを経験した力士や、日本の高校で初めて本格的に相撲を学んだ力士もいる。

2. 身体能力とスピードを生かした相撲

モンゴル勢の特徴として、スピードや敏捷性を生かした攻めが挙げられる。

朝青龍は素早い攻めと勝負勘、日馬富士は鋭い立ち合いと瞬発的な攻撃、豊昇龍は投げ技を含めた柔軟な対応力で知られる。

一方、白鵬は長い腕や体格を生かした組み立て、照ノ富士は強固な下半身と圧力を生かした四つ相撲を武器にしていた。

同じモンゴル出身でも、相撲のスタイルは大きく異なる。

出身地だけで力士の特徴を決めつけるのではなく、一人ひとりの得意技や戦術に注目することが、観戦の面白さにつながる。

3. 早い段階から有望な選手を発掘する仕組み

モンゴル出身力士の活躍を支えてきたのが、人材発掘の仕組みだ。

1992年の大島部屋による現地募集から始まり、旭鷲山や旭天鵬の活躍後は、日本の相撲関係者がモンゴルの有望選手に注目するようになった。

高校留学、現地選考会、先輩力士からの紹介など、入門までの道筋も広がった。

朝青龍が明徳義塾高校で相撲を経験したことは、その後の留学ルートを考えるうえでも象徴的な事例だ。

4. 日本の相撲部屋で技術と精神面を磨く

日本の相撲部屋に入門すると、稽古だけでなく、集団生活や規律にも適応しなければならない。

最初の6人が直面した言葉や食生活の壁は、その難しさを示している。

現在では先輩のモンゴル出身力士や日本人の指導者がいる環境で、相撲の技術だけでなく、日本語や生活習慣を学ぶ機会も増えている。

一方で、外国出身であることが出世を保証するわけではない。番付を上げるには、本場所で勝ち越しを続け、上位の相手に勝つ実力が必要だ。

5. 先輩から後輩へ受け継がれる経験

モンゴル勢の活躍を支えるもう一つの要因は、世代を超えたつながりだ。

旭鷲山や旭天鵬が道を切り開き、朝青龍や白鵬が横綱として実績を残した。その後、日馬富士、鶴竜、照ノ富士へと続き、現在は豊昇龍や霧島らが上位を担っている。

加えて、指導者としてもモンゴル出身の元横綱が角界に関わっている。

例えば、鶴竜は音羽山親方として霧島を指導する立場にある。照ノ富士も伊勢ヶ濱親方として後進の育成に携わっている。

このような人的なつながりは、単に強い選手が来日するという段階を超え、経験や技術を次の世代に伝える仕組みができつつあることを示している。

【モンゴル勢の現在地】優勝104回から読み解く活躍の変遷と誤解

モンゴル出身力士の歴史は、単なる横綱の人数だけでは測れない。

2026年9月場所終了時点で、モンゴル出身力士による幕内優勝は合計104回。優勝経験者は10人に達している。

主要な転換点を時系列で整理
時期 主な出来事 相撲界への影響
1992年 最初の6人が大島部屋に入門 モンゴル勢の歴史が始まる
1995年 旭鷲山が初のモンゴル出身関取に モンゴル出身力士の存在感が高まる
1998年 外国人力士の新規入門再開 新たな人材の受け入れが進む
2002年 朝青龍が初の幕内優勝 優勝争いの中心に登場
2003年 朝青龍が初のモンゴル出身横綱に 横綱時代の幕開け
2007年 白鵬が横綱に昇進 長期的な記録更新時代へ
2012〜2014年 日馬富士、鶴竜が横綱昇進 モンゴル出身横綱が複数在位
2021年 照ノ富士が横綱に昇進 復活を遂げた横綱の誕生
2025年 豊昇龍が横綱に昇進 6人目のモンゴル出身横綱
2026年 現役23人、関取12人 新世代とベテランが共存

モンゴル勢の幕内優勝は横綱だけではない

モンゴル出身の優勝力士を考える際、横綱の記録ばかりが注目されがちだ。

しかし、最高位が横綱ではなかった力士にも、印象的な実績がある。

旭天鵬は2012年夏場所で前頭7枚目から幕内優勝。37歳8か月での初優勝は当時の史上最年長記録だった。

逸ノ城は2014年の新入幕から大型力士として注目を集め、2022年夏場所に初優勝を果たした。最高位は関脇。

玉鷲は2019年初場所と2022年秋場所で幕内優勝。関脇を最高位としながら2度の賜杯を手にしている。

霧島も大関としてだけでなく、関脇だった時期に優勝を重ねている。

つまり、モンゴル勢の活躍は横綱に限られない。幕内上位や三役、さらには平幕から優勝する力士も生まれている。

よくある3つの誤解を整理

誤解1:現役のモンゴル出身力士は全員が幕内にいる

実際には違う。2026年11月場所の23人のうち、幕内は8人、十両は4人。残る11人は幕下以下だ。幕内での実績と、現役力士全体の人数を混同しないことが大切だ。

誤解2:モンゴル出身力士は全員、横綱を目指す同じタイプの相撲を取る

これも正確ではない。投げ技を得意とする力士もいれば、押し相撲を中心にする力士もいる。豊昇龍と玉鷲の取り口を比較するだけでも、個性の違いは明らかだ。

誤解3:モンゴル出身力士の優勝は白鵬の45回だけが突出している

白鵬の記録が圧倒的なのは事実だが、朝青龍の25回、照ノ富士の10回、日馬富士の9回など、複数の力士が歴史的な成績を残している。加えて、横綱以外にも優勝経験者がいる。合計104回という数字は、世代を超えた実績の積み重ねだ。

【プロの結論】モンゴル勢の実力は3つの視点で評価する

モンゴル出身力士の現在地を判断するなら、次の3点に注目したい。

1. 上位番付の安定性: 豊昇龍が横綱として復調できるか、霧島が大関の地位を維持して優勝争いに加われるか。
2. ベテランの持続力: 玉鷲のように長い現役生活を送りながら、幕内へ復帰する力士がどれだけ出てくるか。
3. 次世代の育成: 出羽ノ龍、旭海雄、旭富士らが上位に定着できるか。

特に重要なのは、横綱の人数だけでモンゴル勢の強さを判断しないことだ。

上位の優勝争い、関取の人数、幕下からの昇進という3つの動きを追うことで、モンゴル出身力士が大相撲に与える影響をより立体的に理解できる。

【モンゴル出身力士】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:2026年現在、モンゴル出身の現役力士は何人いますか?

A1:2026年11月場所の番付では23人です。内訳は幕内8人、十両4人、幕下6人、三段目3人、序二段2人。幕内と十両を合わせた関取は12人です。

Q2:モンゴル出身の歴代横綱は誰ですか?

A2:朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、照ノ富士、豊昇龍の6人です。最初に横綱へ昇進したのは2003年3月の朝青龍で、最新の6人目は2025年3月昇進の豊昇龍です。

Q3:白鵬の幕内優勝45回は歴代最多ですか?

A3:はい。日本相撲協会の歴代横綱記録でも45回と掲載されており、歴代最多です。2位の朝青龍は25回。白鵬の記録は、モンゴル勢だけでなく大相撲全体を代表する大記録です。

2026年11月場所の番付には、モンゴル出身力士が23人。そのうち12人が関取で、豊昇龍と霧島が横綱・大関として上位を担い、玉鷲は41歳11か月で昭和以降最年長の再入幕を果たした。

歴史を振り返れば、1992年の大島部屋への6人の入門が出発点だった。旭鷲山、旭天鵬らの先駆者が道を切り開き、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、照ノ富士、豊昇龍という6人の横綱が誕生した。

幕内優勝は10人で合計104回。白鵬の45回という突出した記録だけでなく、霧島や玉鷲ら横綱以外の力士も大きな足跡を残している。

これからの注目点は、豊昇龍の復調、霧島の大関としての安定、玉鷲の挑戦、そして出羽ノ龍や旭海雄、旭富士ら次世代の成長だ。

モンゴル勢の歴史は、横綱を輩出した時代から、幅広い番付で力士を育て続ける時代へと移りつつある。 2026年の九州場所は、その変化を見極める重要な場所になる。

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水沢 陽菜

美容・健康カテゴリを担当。引用元の研究・公的機関の資料を確認したうえで、誰にでも読める形に整えます。

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